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2016'08.02 (Tue)

重複障害者は、生きている価値がないのか・・・?

重複障害者は、生きている価値のない社会のお荷物なのか・・・?
重複障害者が生きていくのは不幸だから、安楽死をさせるべきなのか・・・?
そして。。。犯人は英雄なのか・・・?

2016年7月26日未明、神奈川県相模原の障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で起きた、19人刺殺事件。私は、この事件にものすごいショックを覚え、これらの疑問と格闘していました。

 「重複障害者」とは、「複数の種類の障害を併せ有する児童又は生徒」(特別支援学校幼稚部第3章指導計画の作成に当たっての留意事項第2の4、小学部・中学部学習指導要領第Ⅰ章総則第2節第4の2の(2)、特別支援学校高等部学習指導要領第Ⅰ章総則第2節第4款5の(2))であり、原則的には学校教育法施行令第22条の3において規定している程度の障害を複数併せ有する者を指しています。しかし、実際の指導に当たっては、その必要性から必ずしもこれに限定される必要はなく、言語障害、自閉症、情緒障害等を併せ有する場合も含めて考えてよいことになっています。
独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所

私の息子も重複障害者です。
重度の自閉症に知的障害、言語障害、そして、思春期以降はカタトニアという合併障害も発症しました。肢体不自由はないですが、21歳なのにIQは30くらい。2~3歳ほどの生活能力しかありません。言葉がないので、意思疎通を図るのも大変。日常生活のありとあらゆる場面での介助が必不可欠です。日本に住んでいた頃、「津久井やまゆり園」ではないですが、このような施設に息子も入所していた事があるので、施設とはどういう所なのか、入所者の状況はどういう感じなのか・・・親の立場として想像できます。

だからこそ、一般の人以上に、この事件には敏感に反応してしまう自分がいるんですよね。

植松聖容疑者の人物像
犯行に至るまでの過程・動機
世間からの意見・反応

この事件の事を知りたくて、いろいろな記事を読みました。

ニュースでも個人ブログでも、大部分は、「事件の悲惨さ、残忍さを訴え、身勝手な犯人に激怒し、犠牲になられた障害者に同情を示す」反応でした。黒岩知事は報道陣の取材に、「夜中に侵入し寝ていた入居者を次々と刺した。衝動的ではなく計画的な犯行。許せない」と怒りをあらわにしています。私自身も、最初事件を知った時には、「あまりにも自分勝手な妄想から、理不尽な思想を言い訳にし、罪もない障害者を死に至らした」と、怒りに震え、久しぶりに号泣しました。


事件後の施設の様子・・・(産経新聞より)
搬送前に負傷者のけがの状況を判断し、優先的に搬送の順位を決めるトリアージでさらなる壁に行き当たる。 園の入居者は重度障害者が多く、意思疎通が図れない。救急隊員が「大丈夫ですか!」と声を掛けても半数以上から返事がなかった。障害で言語が不自由なのか、負傷のためなのかがわからず、搬送の判断は困難を極めた。悲鳴を上げて廊下を行き来する入居者もいた。

あの被害者の中に息子がいたとしたら・・・想像しただけでも、恐ろしいです。

「重度の知的障害だけど、必死に抵抗したんじゃないでしょうか。どんなに怖かったか」被害者の一人の親御さんは、このように語っていらっしゃいます。去年の秋、私の息子は、バクテリア感染して救急車で病院に運ばれる際、説明しても状況が理解できないので、警察官の男性4人相手に暴れまわり、最後には羽交い絞めにされて、麻酔を打ってようやく担架に乗せたことがありました。そんな感じで、もしもこの事件に巻き込まれてしまったとしたら、周囲の騒動で目が覚めていたとしたら、彼も彼なりにできる限りの力で抵抗を試みたことでしょう。

見知らぬ他人だって許せない犯行なのに、ましてや、犯人は元職員。自分で世話をしていた顔見知りの入居者だったろうに、どうしてここまで残酷な事ができるんでしょう。。。こういった面では、植松聖の行動がまったく理解できません。

しかし・・・
植松聖の言葉は、私の胸に深く刺さりました。「人の役に立つ仕事がしたい」と周囲に語っていた彼は、「津久井やまゆり園」に勤務した当初は、一生懸命任務を真っ当しようと頑張っていたみたいです。それが、しばらく経って、重複障害者の現実を目の当たりにするにつれ、「この重複障害者たちは、何のために生きているんだろう?生きてる意味があるんだろうか?」と、感じるようになったそうなんです。

これって、まさしく、中学時代の私。私が通っていた中学には、『G組』という特殊学級がありました。でも、時は昭和50年代。ノーマライゼーションなんて概念はまったくありません。G組の生徒さんとの交流は一切なく、一緒にやっていたはずの運動会などの行事でさえ、私達健常児組とG組は、何の接点さえもなかったので、G組に通っていた障害児に対して、私は、何の興味も関心もありませんでした。外見だけで、「気持ち悪い」とか「怖い」という、ものすごい偏見的な感情で判断していました。(それから○十年後、まさか、自分が障害児の母になるとは想像もせず。。。)

だからこそ、息子の障害がわかってからしばらくは、すごく複雑な心境で、なかなか受け入れられない自分がいました。勿論、息子に対する愛情は普通にあったので、自閉症療育を含めて自分なりに一生懸命取り組んではきましたが、なんせ息子は重度障害児。洋服の着脱を教えるのにも、毎日取り組んで、3年かかるほど根気のいる作業。シングルマザーで家族からの支援もない私は、時には発狂しそうになり、正直、植松聖のように、「息子と私は何のために生きているんだろう?生きてる意味があるんだろうか?」と、自問自答をすることもありましたね。それだけ、息子の障害が発覚してから、親としての義務で療育には取り組んでいたものの、心の底から息子の障害を受け入れ、息子を認めていたわけじゃなかったんです。

「重複障害者は、生きている価値のない社会のお荷物」とまでは思っていませんでしたが、「息子が重複障害者として生きていくのは不幸だから、一緒に死んだ方がいいのではないか・・・?」と、心中も考えた事も何度もありました。こんな経験があるから、植松聖の今回の言葉にドキッとしたんです。

知らず知らずに障害者を差別視していたからこそ、障害をおった息子を授かってしまった。これは私自身への罰なのかも。。。と。あれから更に10年以上の月日が流れ、今では、『罰』ではなく、『神様からの贈り物』と感じることができます。障害者の世界を学ぶ機会をくれた息子に、心から感謝するとともに、ありのままの息子を心から愛おしいと感じています。

相変わらず日常生活の殆どは介護が必要で、コミュニケーションも取りにくい息子。この先、仕事に就いて、自立した生活をしてくれるわけでもないし、誰かと結婚して孫の顔を見せてくれるわけでもありません。植松聖的には、「意味のない人生・生きている価値がない」という感じでしょうね。

でも、息子が誕生して21年。ようやくわかりました。人間の価値って、「その人が何ができるか」でも、「社会に役に立つのか」でもないんですよね。子供って生きてくれているだけで、その存在があるだけで価値があるんです。普通、こんなこと自然と理解できるのかもしれませんが、両親から虐待されて育った私は、親から無償の愛をもらう体験をしたことがありません。優等生を演じる事で親からの愛を得ようと必死にもがいて、生きてきた人生でした。だから、私自身が親になっても、しばらくは気が付けなかったんです。

そう考えると、もしかしたら、犯人の植松聖も、「自分は、社会に貢献してなくても、立派でなくても、親から愛される存在なんだ。」という本当の愛を得たことがなかったのかもしれません。だからこそ、親から、世間から認められたい願望、歪んだ自己愛を生んでしまう結果になったのかもしれません。

この事件が起こって、「障害者に対する差別はいけない!」と「ナチスドイツの優生思想そのもの」と、植松聖のことを非難する声が高まっています。でもね、考えてみて下さい。現実に、自分達に『障害』が降りかかってきても同じ事を言えますか?

実際、私達人間は、出生前検査を発明しましたよね。その検査を受けて、ネガティブな結果が出た妊婦さんの殆どは、産まない決断をしているが悲しい現実です。その時点で、もうすでに、障害がある可能性のある子は処分され、生まれてくる権利が損なわれているんです。

そして、障害児は健常児と小さい頃から隔離されて育つことになります。我が国、日本や発展途上国では特にそうですが、カナダをはじめとした先進国でさえ、理想的な教育・社会でのインクルージョンはまだまだ成り立っていません。もうこの事実自体が、社会全体が障害者の人権を差別しているのではないでしょうか?息子と出会う前の私もそうであったように、「無知から来る悪気のない差別意識」につながっている気がしてなりません。

もうひとこと付け加えると、「障害の有無にかかわらず、ありのままの我が子を愛せる親」が少なくなってきているように私には思えます。折角、五体満足で生まれてきてくれた子供なのに、「勉強・スポーツができないといけない。」「いい学校に入って、いい会社に就職しなければならない。」「外見が劣っていてはいけない。」などと、優秀であることに執着する。親の期待通りの子でなければ許せない。そんな親が多い!!これだって、優生思想そのものですよね。


しかも!なんと!「植松聖は、英雄だ!」と、植松聖の思想・犯行に賞賛する民もいるんです!これは、私の想像外。驚くというか、呆れてしまいました。
(Image:Vipperトレンディー
cats_201608021856091b9.jpg 

「社会に役に立つ人だけが生きている価値がある」という優性思想では、障害者だけでなく、高齢者も引きこもり、病人といった弱者は価値のない対象になってしまいますよね。賞賛コメントを出している人達だって、いつどこで弱者の立場になるかもしれません。「自分は例外だ!」なんて豪語していても、いづれは皆、年を取っていくんです。自分が弱者の立場になった時、「生きてる価値がない」って言われたら、どう感じますか?同調している人達、是非、想像してもらいたい。

犠牲になってしまった19名の方々、ご冥福をお祈り申し上げます。
今現在、生死をさまよわれている方々、肉体的・精神的な傷と闘われている方々、一日も早い回復をお祈り申し上げます。



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